末期ガンの青年
15年ほども前の話だ。
末期ガンの青年がプロフィール写真の撮影に来たことがある。
余命はいくらもないことを話してくれた。
抗ガン治療で髪はなかったが、目の前でイキイキと喋るこの人が、間もなく死んでしまうとはどうしても信じられなかった。
半年後、お母さんから電話があった。
あの写真を遺影に使わせてもらっています、と。
撮影の時、青年は役者のようなことをしているので、オーディションに写真が必用だと言った。
青年は家族のために写真を残さなければいけないと思ったのだろうが、それでも生きるための写真を撮りに来た。
一縷の望みを捨ててはいなかったが、死という現実も受け入れていたのだと思う。
生きることをあきらめるわけにはいかないが、死のための準備をすることもまた自分の生きる目的であることを知っていたのだろう。
あの日、目の前の青年が間もなく死んでしまうことを想像できなかった僕は、この青年がどんな葛藤に苦しんでいるのかも想像できなかった。
いや、青年はそれに気づかれまいと、明るくイキイキと振る舞っていたのかもしれない。
回りに心配をかけることは、もはや自分の状況を良くもしないし、生きる目的でもないということを悟っていたのだろう。
間もなく使われることになるであろう自分の遺影写真を、青年は撮りにきたのだ。
残される人たちのことを想いながら。
人を愛し、裏切られ、別れることを何度も繰り返さないと、人は人の苦しみが想像できない。
★この文章はツイッター(@studio_climb)で以前つぶやいたことを、加筆してまとめました
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この投稿へのコメント
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切ないお話ですね・・
その青年は、限られた人生を全うされたのでしょうね。
死を受け止める・・とても恐い事ですが、今の時代・・いつ何が起こるか分からないですから、常に私達は死を考えながら毎日を大切に生きなければならないのだと改めて考えさせられました。
死を受け止める事も出来ずに、生涯を終えられてしまった方が今年は多すぎますもんね・・
きっと、ご家族も藤田さんが撮られた青年の素敵な表情に満足されて連絡を下さったのでしょうね・・
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>☆こいちゃん☆さん
ありがとうございます。
ウチの子らもむちゃばっかりして・・・
昨夜も長男が夜中に母親と口喧嘩をしてプイと飛び出して行きました。
そして2時ごろづたづたになって帰ってきました。
単車でニケして転げ落ちたそうです。
幸い、擦り傷だけでしたが、妻は口喧嘩したことを激しく後悔していました。
生きていてくれるだけで、嬉しいことですものね。